上神谷7社の移転趣旨書(案)作成の依頼が

 前に書きました上神谷7社まいりですが、地区関係者から毎年の斎行は大変難しくなってきていることから、移転協議を進める資料となる趣旨書について、原案作成の依頼を受けて、悩みながらなんとか案を作ってみました。

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         上神谷七社移設に関する趣旨書 (案)

趣旨

 私たちが生活する上神谷は、地区内の山に南西側から熊野神社・稲荷神社・富士見権現・塚の権現・山の神・白山神社・黒磯権現という7つの神社をお祀りしています。

 地区の先人は、毎年10月1日の幣束まつりに併せ、7つの神社を廻り、それぞれ参拝してまいりました。しかし、近年は、自然環境の変化による雨量の増加等から、山道の崩落や倒木発生など、山の荒廃が進んでおり、山林の維持管理も大変難しくなってきております。

 今年は、2組の皆さん4名が担当し、お参りしていただきましたが、10月1日は、前日に台風が通過した影響で延期とし、10日に実施したとのことでした。その後の報告では、やはり大変な悪路そして通行不能箇所もあったとのことでありました。

 今後、7つの神社の維持管理状況を考えますと、今が、神社移設を進める時期ではないかとのご指摘もあり、ご関係皆様のご意見を参考に、早急な対応を進めてまいりたいと思います。

 つきましては、現況資料等を添付いたしますので、ご関係の皆様には、移設時期や方法、費用などの検討案について、ご理解の上、ご協力いただければ幸いです。

                                                                上神谷区長 〇〇 〇〇

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現在の課題は           (これまでのご意見・ご報告から)

  • これまで毎年4名で廻っているが、神社の場所を正確に知っている人が少ないことから大変効率が悪い。
  • 山道や神社(祠)廻りの状態が大変悪く、参拝者がけがなどをする可能性があり、けが等に対する明確な補償もない。
  • 10月初旬は、スズメバチ等の害虫もおり、過去には刺された人もいる。(結果、ここ2年は、山の神・塚の権現に行けなかった)
  • 山に入ることがほとんどないことから、今後は、ますます山が荒れていく。
  • 引き継いでくれる若者は、仕事などのために多くを期待できない状況である。

 以上のようなことから、行けない神社(祠)については移設すべきではないかとの意見が出ました。このため、事前に数度行った管理者等の地区関係有志の意見交換を開催し、その中で移転を前提に検討すべきとの方向性が示されました。

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 そこで、今後の維持管理を考慮すると、            

  • 移転の対象となる神社は、

  将来のことを踏まえれば、熊野神社・稲荷神社・白山神社・富士見権現・塚の権

  現・山の神・黒磯権現の7つ、すべてについて移設を検討する。

  • 移転先は

  八坂神社の境内に7つの神社(祠)を設置する。

  • 移転時期は

  本年中に関係者へ趣意をお知らせして、本年度内の実施を基本とする。

  • 移転の費用は 昇神・降神の祭典費及び新たな神社の設置費用。

  祭典費は一般的に10万円前後。新たに7社を設置すれば約15万円程度。

  合計で25万円程度と試算しています。

  • 移設資金

  現在の7社まいり関係者の寄付金を原則として、土地の地権者や管理者などにもご

  協力をお願いしたいと考えております。

 

 基本的な考えについてお知らせいたします。この件について、代替案等のご提案がございましたら、〇月〇日までに、区長へご提出いただければ幸いです。 

 

資 料

 関係記事 福井新聞 R3.08.07

山の神社麓に移設 勝山西ケ原区民ら一致協力  

山の麓に移設した神明神社山の中腹にあった神明神社の移設跡。木立に覆われ、参拝のためには険しい山道を登る必要があった                                   =いずれも勝山市荒土町で

「子孫に残すのが役目」

 勝山市荒土町の西ケ原区は6月、大切に守り続けてきた山の中腹にあった神社を麓に移設した。江戸時代からの歴史があるとされるが近年、住民の高齢化、減少が進み、険しい山道を登る参拝や管理が難しくなっていた。「神様を子孫に残していくのがわれわれの役目」と区民が一致協力した。 (平林靖博)

 神社は少なくとも江戸時代から続く「神明神社」。これまで集落裏の山道を二十分ほど登った先にあった。一九一五(大正四)年に、もう少し低い位置から移したとの記録が残っている。袖川(そでかわ)源也区長(72)は「白山が望める高さに、という伝説が区にある」と述べ、約百年前に中腹に建立された理由を推し量る。

 住民らは通常の参拝やお盆の神明祭で赴くが、急な階段を上り、「草木につかまりながら登る」(袖川区長)のは一苦労だ。車で近くまで行ける細い山道もあるが、草木が生い茂り、管理も難しい。区では高齢化が進み、戸数も九軒に減っている。

 将来を考え、区では二十年近く前から移設を考えてきた。そんな中で今年「われわれが元気で、資金面でも何とかなるうちに」(袖川区長)といよいよ実行に。六月から市内業者に依頼して神社を中腹から麓に下ろし、山道の登り口にほこらを構えた。民家からすぐの距離になった。

 袖川区長は「(山の中腹では)山道沿いの木立も大きくなりすぎて、神社を維持していくことが難しかった。先祖が守ってきた神様を残すことがわれわれの役目なので、神様に下りてもらった」と区の総意を語った。

 移設に伴い、神社内に納められていたご神体の観音菩薩七体は区の公民館で保管中。八日に市内の神職による遷座祭が行われ、移設後の神社にご神体が入る。十六日には、新たな場所で初めての神明祭が開かれる。

 

 これからの動きは、この検討案をもとに協議会に諮り、移転の実施についての決定をすることとなります。