平成23年3月11日午後2時46分。
東日本大震災発生。
大地震になすすべもなく立ち尽くし、
その後の津波の映像に背筋が凍る思いでした。
その時、私は会社。妻は小名浜。
両親は神谷の自宅。
娘は平。息子は東京。
そして原発事故。
停電。
断水は続き。
翌年、父が逝き。
私も思うところがあり、市議に。
あれからあっという間に10年。
昨日は、会派の皆さんと薄磯の「いわき震災伝承未来館」へ。
今日は、総合体育館でおこなわれた「いわき市東日本大震災追悼式」に参加しました。
(金澤翔子さんが)
これからも、忘れられないもの。
そして、忘れてはいけないものを
心に刻んで進んでいきます。