平城跡発掘調査の現地説明会に参加しました。

9月26日(土)の午前10時からお昼まで、平城跡本丸の発掘調査現地説明会に参加しました。

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平城跡は磐城平藩の城郭で、1602年に鳥居忠政が12年かけ築城しました。

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鳥居氏の後、内藤・井上・安藤氏と4代約270年にわたり、譜代大名の居城として明治維新を迎えました。

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今回行われた調査により、本丸跡には戊辰戦争で焼失した本丸御殿跡の遺構が残されていることがわかりました。また、さらに古い層から文化面が複数確認されており、本丸に数時期の遺構があることもわかりました。

 

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確認された建物跡は、石の上に柱を立てる礎石建物です。礎石や礎石の痕跡、柱穴、建物基礎とみられる石列、排水と考えられる石列、便所跡、溝跡などが見つかりました。

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今回見つかった礎石には焼けた痕跡がないことから発掘調査から推測される火災の規模は磐城平城の建物すべてが激しく焼け落ちたようなものではなく、部分的だった可能性があるとの説明でした。

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遺物としては、瓦、かわらけ、陶磁器、木製品、金属製品などが出土しました。

陶磁器では、九州肥前産の染付磁器が大変多く、少量の中国・清朝の磁器皿なども混在していたそうです。陶器は、瀬戸、美濃のほかに大堀相馬産もありました。

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特に磁器は、豊富な器種そして大型で立派なものも目立ち、城主の屋敷にふさわしい品物であるとのことでした。

また、遺構からは、幕末の地面に土中に突き刺さった砲弾が見つかりました。長さが約17.5cm、直径約8.5cmの大きな砲弾で、戊辰戦争時に政府軍から打ち込まれた四斤山砲(よんきんさんぽう)と考えられるそうです。

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私は、今回会派の政調会からの呼びかけで参加させていただきました。

一般の方から市役所関係の皆さんまで、約100名規模で2回ということで開催されましたが、参加した皆さんは、真剣に質問したり写真に撮ったりと関心の高さを目のあたりにしました。

時間の許す限りしっかりと発掘を進め、調査研究していただきたいと思います。